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【やってみた】初心者でもわかる!コロナの影響で売れているカミュ『ペスト』を解説(前編)

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ステイホーム中はずっと読書派、身体のなまった文豪たこです🐙

 

緊急事態宣言は全面的に解かれた形になりましたが、まだまだ油断はできません

 

今日は、「コロナウィルスとの戦いに重なるところがある」と、ちまたで売れに売れているアルベール・カミュの『ペスト』についてです

 

こんな人におすすめ

・「言い回しが古臭くて、読むのに時間がかかる…」

・「難しくて途中で挫折した…」

・「流行っているし、なんとなくスジが分かったら読んでみたい」

 

見えないペストとの戦いや、著者の思想を描いたスジを追いつつ、「コロナの時代に生きる私たちにもたらしてくれたものは何か?」について、前編と後編に分けて、文豪たこ流で読み解いていきます

 

なお、読み解くにあたって、今回は新潮文庫版の『ペスト』を参考にさせて頂きました



 

194×年、アルジェリアの港町、人口20万人のオラン

ある朝、医師のリウーはネズミの死体をいくつか発見したところから、物語は幕を開ける

 

その直後から、高熱でリンパ腺が腫れ、吐血して死ぬ人々が続出する。いわゆる『腺ペスト』の症状だが、医師会も行政もペストであることは認めず、何も手を打たない

 

ところが、患者が急増するにつれ、ようやくペストの流行を宣言。オランの閉鎖を決定する

 

やがて、毎日100人以上も死者が出る状況となった。病院も行政も対応しきれなくなり、医療崩壊に向かっていく

 

この部分を読むと、コロナウィルスによる感染が毎日100人以上も確認されていた、東京の4月の状況を想起させる。奇しくも、医師リウーがネズミの死体を発見したのも4月であった

 

作中に出てくる『腺ペスト』は、ノミによって感染拡大する病気と考えられていたので、対人接触が危険だという認識はなかった

 

なので、閉鎖は閉鎖でも、外部との連絡を断つだけで、時間を持てあましたオランの住民たちはカフェに入り浸って、日夜、あれやこれやのバカ騒ぎを続けてしまう

 

一方、医療崩壊の危機を防ぐために、『保健隊』という、いわば民間のボランティア組織が結成された

 

危険は伴うが、ペストに感染した患者の世話や、遺体の運び出し、消毒作業に協力をする組織である

 

ただし、著者のカミュは作中で、「筆者は、しかしながら、これらの保健隊を実際以上に重要視して考えるつもりはない」(P192)と、わざわざ登場して述べている

 

保健隊を窮地のヒーロー的な組織としては描かず、むしろ、一般市民たる男たちが生死を賭けてペストと戦う経緯に着目している

 

男たちに共通するのは、神もイデオロギー(政治的思想のこと)も信じていない点である。もともと瀆神的(神の神聖を汚すこと)だというカミュは、神やイデオロギーを「観念」や「抽象」と呼び、作中の人物に自身の思想を託している

 

例えば、新聞記者のランベールに、「僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。僕はヒロイズムというものを信用しません。僕はそれが容易であることを知っていますし、それが人殺しを行うものであったことを知ったのです。僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです。」(P244)とまで言わせている

 

神やイデオロギーという「観念」や「抽象」に頼らなくても、いざとなった時に人間は死の危険に飛び込めるのかどうか、人間は連帯してペストに挑めるのかどうかと、保健隊の男たちに繰りかえし議論させている

 

そして、結末は実にあっけなくやってくる。ペストは突然収束に向かい、人々は元の生活に戻っていく


例えば、ランベールは離れ離れになっていた妻と再会する

 

その一方、「ペストは神からの罰であり、人間の罪だ!」という旨を厳格に説いていた神父パヌルーは、自身にペストの疑いがあっても医師の診察を拒み、神の手に運命を委ね、十字架を握り締めながらペストで死んだ


瀆神的なカミュの思想性が顕著に表れている結末である

 

僕の心に焼き付いてるのは、最後の段落である

 

「事実、市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅かされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強くまちづづけていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。」(P458)

 

文庫本の裏表紙にも「対ナチス闘争での体験を寓話的に描き込んだ」という記載がしてあるが、カミュは「『ペスト』は、第2次世界大戦におけるドイツ軍の占領下であったフランスの隠喩で、ペスト(すなわち、ナチスのような悪)は、決して死ぬことも消滅することもない」という旨を述べている。これは、仮にナチスが滅んでも、同じような「悪」が再び台頭してくるであろう、という警告である


現代社会に置き換えてみると、人間へ、そして世界への警告であることを思い知らされる。ペスト(ここではコロナウィルスを指すが、いろいろな単語に置き換えられるだろう)は「収束」はすれども、「終息」はしない。あちこちに息を潜めて存在している限り、歴史は繰り返され、そのたびに人間は試されていくのだろう

 

僕は、『ペスト』が残してくれたものは以上のことと、それからもう一つあると思っている。後編ではその「もう一つのもの」について述べていこうと思う

 

つづく