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【やってみた】初心者でもわかる!コロナの影響で売れているカミュ『ペスト』を解説(後編)

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前編はこちらから

 

 

前編に引き続き、アルベール・カミュの『ペスト』について考察していきます

 

こんな人におすすめ

・「言い回しが古臭くて、読むのに時間がかかる…」

・「難しくて途中で挫折した…」

・「流行っているし、なんとなくスジが分かったら読んでみたい」

 

見えないペストとの戦いや、著者の思想を描いたスジを追いつつ、「コロナの時代に生きる私たちにもたらしてくれたものは何か?」について読み解くシリーズの後編です

 

なお、読み解くにあたって、今回も新潮文庫版の『ペスト』を参考にさせて頂きました

 

 

個人的には、『ペスト』は「愛」をテーマにした小説だったとも見ている

 

前回記述した、新聞記者のランベールが(というよりも、著者カミュが)「僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです。」ということが象徴されている箇所がある

 

保健隊の幹事役でもあった、初老の下級官吏グランの話である


カミュはグランを、「筆者はグランこそ(中略)平静な美徳の、事実上の代表者であったと見なすのである。彼はいつもの彼そのままの善き意志をもって(以下略)」(P197)と述べている

 

つまり、ヒーロー的な要素のないグランに、カミュ自身の思想を託しているのではないかと読み取れる

 

カミュが嫌った、「神」や「イデオロギー(政治思想)」という言葉とは真逆だ


グランというのは、余暇を使っていつも未完小説の一文を推敲するという、ちょっと面白い趣味を持った人物である

 

オランにペストが蔓延し、患者たちは次々と収容所に入れられ、遺体が次々と火葬されるようになっても、せっせと未完小説の文章を推敲している

 

グランは若い頃、妻に出て行かれてしまっている。しかし、繰り返し脳裏をよぎるのは、美しかった妻・ジャーヌの思い出だ。ジャーヌとの馴れ初めをリウーに語る場面がある

 

「ある日、クリスマスの飾り付けをしてある店の前で、ジャーヌはそのショーウィンドーを感嘆して眺めていたが、いきなり彼のほうへ倒れかかりながら、こういった――「まあ、きれいね!」彼は彼女の手首を握りしめた。こうして、結婚は決まったのだった」(P118)

 

それでもジャーヌが出て行ってしまった理由、それはグランに言わせれば「働いて働いて、そのあげく愛することも忘れてしまうのである。」(P118)とのことだった

 

実は、僕は『ペスト』の中で、この一文がいちばん心に突き刺さったのである


外出自粛の影響でテレワークをするようになり、家族で過ごす時間が増えたという人は多いはず。日々働いていると、仕事に蝕まれ、誰かを「愛する」ということを忘れてはいないだろうか? と僕は問いたい

 

話を戻そう。ペストは夏にかけて蔓延し、冬になっても魔の手を引こうとしない。オランに住む多くの人が愛する人を亡くし、悲しみに暮れていく


クリスマスの日、グランが行方不明になってしまう。ランベールによると、変わり果てた顔つきで街を彷徨っているらしい


リウーは心配になって捜索に乗り出し、ついにグランを見つける

 

「正午の冷え冷えとする時刻に、リウーは車から出ると、遠くに、そまつな木彫りの玩具のいっぱい並んでいるショーウィンドーにほとんどはりつくようにしている、グランの姿を見た。老吏の顔には、涙がとめどもなく流れていた。そして、その涙がリウーの心を烈しく揺り動かした。」(P388〜P389)

 

グランは、かつての妻との在りし日を思い出していたのだ


このクリスマスの直後、ペストは収束に向かう。ペストに感染してしまったグランも、奇跡的に回復する。回復したグランは、ジャーヌに手紙を書き、満足しているとのことだった

 

先述した、カミュが言わせたランベールの「僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです。」という思想にグランは合致する。つまり、創作の楽屋裏を覗くようだが、グランは愛する者の為に必然的に生きなければならなかったのだ

 

それからまた例の文章いじりを始めたそうだが、「すっかり削ってしまいましたよ、形容詞は全部」(P453)ということだ。散々、文章をどう書くかで推敲に推敲を重ねて悩んだ挙句、「形容詞を削る」という答えには「形容詞=修飾語=何事も飾らずありのまま生きていく」という決意が読み取れる

 

文豪たこ流に、『ペスト』でのカミュの思想を凝縮すると「極限状況になっても、神にすがることなく飾らずに生き、ただ愛したい人を愛して生き、そして死んでいく」と言えるだろう