文豪たこのくっついて~スミはいて~

おもしろさ第一、役に立つこと第ニ

Tacomi式世界⑥「習いごと放浪記」

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これから話すことは、サクセスストーリーでもなんでもない。挫折して、結局挫折したままの話である。

 

ぼくは小さい頃、強制的に習いごとをさせられていた。母は英才教育をしたかったらしく、ぼくに体操とバイオリンをさせた。いや無理っす。

 

ただでさえ、根性とか忍耐の値が0だったぼくは、「たたかう」なんてコマンドが脳内にあるはずがなく、とことん「にげる」コマンドを連打していた。

 

まず体操は、「いやだぁぁ~!」と泣きわめいて、体育館の中を逃げ回った。日本語がおぼつかない中国人の先生が嫌だったのだ。

 

「オマエ、デンチュー、マタノボルンカ?」(おまえ練習またサボるのか?)

 

とか、

 

「オマエ、キョウモ、モッコリデ、ヤルカ?」(おまえきょうも残りでやるか?)

 

と脅してきたり、

 

「オマエ、キョウモ、チンチンジュウ、オラボインデ、アホデマケ」(おまえきょうも一日中トランポリンで遊んでるだけ)

 

と、怒ったりしていた。

 

結局、「オマエ、タマタマ! オナラノ、デンチューノ、タマ!」(おまえ邪魔邪魔! おれらの練習の邪魔!)と放置された。

 

ぼくは、よくすみっこの方でひたすら鼻をほじりながら、ひとりトランポリンを跳んでいた。たまに、マットででんぐり返しがてら、収穫した鼻くそをマットに付けてマーキングしていた。

 

「キチャマ、マンゴヲ、タベンナヨ!」(貴様マットをなめるなよ!)

 

と見つかって、叱られた時もあった。

 

今は訳せる。でも、当時はとにかく多分怒っているんだろうけど、何をしゃべっているのかはよく分からなかった記憶がある。

 

いつも帰りに、迎えに来た母からご褒美として買ってもらえる『ミロ』(今でもあるのかな?)という、全人類のほっぺを落とさせる自信があるくらいうまい飲み物を買ってもらえることが、ここでの唯一の楽しみだった。

 

たいして動いてないのに、「あー、運動した後はおいしいねぇ…」とか、ジム帰りのおばちゃんみたいなコメントをしていたらしい。ウソつけい。

 

結局、すぐやめた。

 

ここで運動しなかったおかげもあってか、今では背のびして棚にある物を取ろうとしただけで、上腕二頭筋が毎回つる。

 

さて、バイオリンの方は、ぼくがちょっと弾くたけで「黒板を爪でひっかくような音……の方がマシなんですけどー!」と他の子どもから指摘され、教室内では笑い者になった。

 

別の部屋で一人練習を余儀なくされたけど、そもそも自分でバイオリンをやりたいなんて言った覚えはサラサラなかったので、超絶苦痛だった。

 

なので、やっぱりここでも鼻をほじるしかなかった。ぼくはあぐらをかき、バイオリンを裏面にして床に置き、もぎたての鼻くそを1個2個と付けていき、7個のドラゴンボールがそろったら「いでよシェンロン! そして願いを叶えたまえ!」と唱えてシェンロンを召喚するまねをしていた。当然現れない。

 

文化会館で発表会をした時なんか、もう散々だった。

 

ぼくの番になって、ステージに出てお辞儀をしたのはいいけど、そもそもバイオリンの持ち方も覚えていないので、不安になって泣き出してしまった。

 

観客席からは、失笑が起きていた。公開処刑だ。袖にいた先生が大慌てで駆けつけ、二人羽織のように、後ろから手を取ってもらって一緒に全部弾いた。

 

習っていたおかげで、今では小さい頃のことを聞かれると「昔バイオリンやってたんですよ」とプチ自慢して「おお!」とか言われることで、承認欲求を満たしている。ウソではないけど、しょうもない。

 

結局、すぐやめた。

 

何をしても続かないぼくが、唯一自分から「習いたい!」と胸熱になったのが、絵画教室である。

 

なぜか。

 

確か、ピカソだったと思うが、彼の絵をテレビ番組で見た時に、「こいつヘタクソじゃん。おれもっとうまく描ける」と、ありえないくらいの勘違いをし、見下したからである。

 

小学2年生の頃、ぼくは昼休みに好きだった「ロックマンのステージ」を題材にして、スケッチブック6ページ分くらいの超大作の絵をよく描いていた。

 

試しに先生に見せに行ったら、「うまい!」とか「すげえ!」とか、たぶん褒められて気をよくした。

 

「おれはうまい」と更に勘違いをし、よせばいいのに、近くの絵画教室に通い始めてしまった。

 

その絵画教室は、魔女みたいな顔面の年配のおばさんが先生をしており、基本的には男子でも女子でも、生徒の下の名前+「ちゃ~ん」付けで呼ぶという、男子にとっては恥ずかしい文化があった。

 

仮に、ぼくの名前を「タコ」とするなら、「タコちゃ~ん」と呼ばれていた。

 

毎回、先生からのお題に沿って絵を描いていくのだが、いい感じに描けると、なんと「ちゃ~ん」から「様〜!」へ昇進できるシステムに気付いた。

 

いい絵は絵画教室のチラシに載せるみたいなので、先生も集客のために欲しがっていた。

 

だから、ぼくが気合いを入れていい感じに描けたら、先生は合掌して手のひらをスリスリしながら「タコ様〜!」と、崇拝してきた。

 

特に、3時のおやつは最高だった。いい感じに絵を描けた人はおやつがプラスされるし、「タコ様、おやつよ~」と貴族のように扱われたからだ。

 

この絵画教室も、絵を描くぶんには良かった。

 

だけど、ぼくがずーっと黙々とやって毎回いい感じの絵を描くから、「あいつむかつく」と、年上の子たちに目をつけられた。

 

そのうち、先生の見ていない所で、絵の具がついた筆でぼくの腕に○とか✕とか描いて、いじめてくるようになった。

 

ぼくも、黙っちゃいない。いじめっ子に立ち向かった。

 

例えば、カッターでクレヨンを刻んでリュックに入れたし、パレットに放置して固まった絵の具をリュックに入れたし、鼻くそを掌に載せてデコピンの要領で飛ばしてリュックに入れたりした。倍返しだ。

 

でも、ぼくは「最近ピアノを習い始めて、今日はレッスンがあるから」と、ウソをついて早く帰るようになった。ピアノなんて猫ふんじゃったも弾けない。

 

そのまま家に帰っては、サボったことがバレてしまう。

 

なので、古本屋で『幽遊白書』を読んでいるフリをして、開いた間にエロマンガの『東京大学物語』を挟んで立ち読みし、時間調整をしてから帰っていた。

 

結局、2年くらいでやめた。

 

習いごとは、どれもこれも続かなかったのだった。

 

でも、ぼくは人生から逃げる気はない。だって、どの経験もそうだけど、当時は嫌だったことが、今笑いごとにできてブログのネタになっているから。