文豪たこのくっついて~スミはいて~

おもしろさ第一、役に立つこと第ニ

Tacomi式世界⑤「ぶび」

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ぼくは一時期、知的障害者の通所施設で働いていた。

 

障害をお持ちの方と心の距離が近くなるキッカケというのは、いっぱいあった。


例えば、散歩を通じてとか、音楽プログラムを通じてとか、軽作業を通じてとか、いろいろ。


その中でも、散歩は嫌いだし、音楽は聴くと泣き叫ぶし、軽作業で使うアルミは口の中に入れて味わっている中年男性の方がいた。


「もうどうしようもなくね?」と他の職員はお手上げだったけど、ぼくは手を挙げて提案した。

 

「じゃあ、話してみませんか?」と。


ろくにその方と職員が話している場面を見たことがなかったので、ぼくは話すという選択をした。単純にあれしてこれしてと指示るのではない。

 

その方の話す言葉を一緒になって話せば、話は分かるだろうと思った。いわゆる、オウム返しというやつである。


ただし、その方は一語しか話せない。

 

「ぶび」

 

である。

 

「ぶびじゃねぇよ」という、厳しいご意見もあるだろう。

 

そんなぼくは、その当時どう思ったかと言うと、

 

「ぶびじゃねぇよ」と思った。

 

「ドラえもぉ~ん! ホンヤクコンニャク出して~!」とも思った。


ただ、その方は、「ぶび」で意思疎通を図ろうとしていたのである。いやまじめに。


その方が、こちらの提示するプログラムが嫌だと分かった時、ぼくはとりあえず会話をした。

 

「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」

以下略

 

こうして会話のキャッチボールを文字に起こすと、いい大人たちが何してんねんという感じになるが、ぼくからすれば、いい大人たちが話してみようとも思わないで何してんねんという感じだった。

 

おっと、スクロールして運良くこの会話文から読んだ方へ断っておくが、我々は豚ではない。大好きなママのおっぱいを鼻息荒くしてブヒブヒしゃぶりついて育った哺乳類だ。


それはさておき、話してみると、その方はうれしかったらしく、「ぶびぃ!」と笑顔になって飛び跳ねてくれた。


今まで「あの人は話せない人」と決めつけていた職員たちは驚いてくれた。

 

「控え目に言って神だ」と称えられたが、

 

「控え目に言って民だ」と言っておいた。


ただ単に、散歩だの音楽だのを一緒にやっていればいいってもんじゃない。こういう会話の中での発見も大事だ。


そうそう、「ぶび」の種類もいろいろある。いやまじめに。


頷きとともにする、肯定形の「ぶび」

眉毛をハの字にする、否定形の「ぶびぃー!」

語尾が上がる疑問形の「ぶびっ?」

うれしいときの笑顔形の「ぶびぃ!」

文字だけでは到底伝わらないと思うが、だいたいこの4パターンである。


それぞれを分析的かつ具体的に書くと、卒論が一本出来上がりそうなので割愛する。4単位くらいは欲しい。


とにかく、この方が通所施設の中で一番お好きなことは、会話だったのだ。普段お母様はお忙しいらしく、なかなかご自宅では話せていないらしい。だからか。

 

ぼくはお母様に「ぶび」の成り立ちを聞いてみた。

 

「ああ、あれはね、本当はバイバイって言ってるのよ。ちっちゃい頃、よく言う機会があったから、染みついちゃったのよ、きっと。でもあれで使い分けてるからね」

 

と言われた。

 

そうか。

 

バイバイ⇒バービー⇒バビィ⇒ぶび

 

という、要はバイバイの発音がネイティブになった感じか。かっこいいではないか。

 

そういう背景を把握しているか、していないかでは、支援の組み立て方も変わってくる。

 

例えば、職員がどこかへ行く時とか、他の利用者さんが先に帰る時とか、「ぶび」の一言があるだけで救われる人だって……いると信じたいので、せーので「ぶび」と言ってもらい、手を横に振ってもらっている。


いろいろな職員とご本人が話すことでブビュニケーション能力が向上する……かどうかはまだ分からないが、本人のニーズはある。


決してバカになどしていない。最近は、ご本人が何のプログラムをやるにしても、職員とぶびぶび言い合っていると乗り気になっている。これは立派な支援だ。いやまじめに。


ぼくは、あまりにもぶびぶび言い過ぎているせいか、こないだ入ったカフェで「ミルクは要りますか?」と聞かれて、つい肯定形の「ぶび」を使ってしまった。