文豪たこのくっついて~スミはいて~

おもしろさ第一、役に立つこと第ニ

Tacomi式世界⑪「超やせる薬」

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ぼくは大学生の頃、読書にハマっていた。

 

特に芥川龍之介太宰治が好きだったが、それよりも星新一筒井康隆ショートショートにハマっていた。

 

「短いし、おもしろいし、オチがあるし、最高じゃん」

 

興奮のあまり鼻血ブーして、星新一の『ボッコちゃん』のカバーに滴った。ごめんねボッコたん。

 

モロに影響を受けたぼくは、一時期マジで小説家になろうと思っていた。就活なんて、しとうない。

 

だから、先人たちをマネして、おもしろいショートショートを書こうと思い立った。おらおらおらおら! おら何個でも量産するだー。

 

そうそう。ぼくは形から入る方なので、いかにも文豪っぽいことから始めてみたかった。

 

例えば、紙に何か書いては「あー違う!」とか言ってクシャクシャに丸めて後ろへポイッと捨ててだんだん背後に溜まっていく感じに憧れていた。ちりつも。

 

とりあえず、適当に本棚から小説を取り出し、リングノートの紙をピリピリ破って冒頭を写本してみる。

 

「親譲りの無鉄砲で子どもの頃から損ばかりしている」

「年中借金取が出はいりした」

「死のうと思っていた」

 

とか書いて、ポイポイ後方へ投げ捨てて作家としてのモチベーションを高めていっていたが、執筆開始3分で背後から忍び寄っていた母に見つかり、無残に捨てられている紙の亡骸たちを復活させてしまった。

 

文学に関心のなかった母は、親の悪口を書くなとか、おまえはもしかして借金してるのかとか、そんな思いつめて死ぬなとか散々言われた挙げ句、泣かれながら世界には紙すら手に入れることが出来ない子どもたちがいるんだから無駄にするな、命も同じだ軽んじるな、という謎の講義を受けた。

 

うんごめんね。

 

さて。

 

ぼくは何作か作品を書き上げ、通っていた大学の文学部の先生のところへ持って行き、読んでもらった。

 

その中で、「『超やせる薬』という作品はおもしろいねー!」と好評価をもらったのだ!

 

今思うと、怪しい通販でも到底取り扱ってなさそうな商品みたいな名前である。

 

「いやぁ、これ一回載せてみなよ! ショートショートなら、『小説現代』っていうのが募集してるよ!」

 

ぼくは有頂天になった。

 

「け、傑作を生んでしまったかもしれない……!!」

 

と、かつてない感動と同時に、かつてない角度で先生に「ありがとうございます!」とお辞儀をした結果、身体が攣ってワナワナと震えていたがそんなこたぁもうどうでもいい。これからぼくは文壇の大御所を約束されたようなもんだ。

 

より文豪に近づくため、帰りにロフトで甚平を買って帰宅した。自分へのごほうび。

 

おもしろい。人生がおもしろい。

 

ぼくは早速、ショートショートを毎月募集しているコーナーがあるという文芸誌『小説現代』に「超やせる薬」が入った封筒をポストに投函した。

 

あかん。あかんぞ。このままではすぐにデビューしてしまうではないか。

 

あせったぼくは、もう単行本が出ることを想定して、早め早めに手を打っておこうと思った。

 

筆名をどうするか。本名のままだと地味だったので、飼っていた愛犬と好きな文豪の名を合体させて、「歩地田川 歩地之介(ポチタガワ ポチノスケ)」にした。語呂がいい。かわいい。覚えやすい。いそう。つまり、人気が出ちゃう。

 

一応、外に出て小屋に入っていたポチにお参りしたが手を合わせてる時に舐めてきやがった。少しは敬え。

 

ペンネームが決まったので、ぼくは見開きのページに書くサインの練習を筆記体でしたり、作者紹介の写真に載せる用として芥川龍之介のようにアゴに手を添えたポーズで50枚くらい自撮りしたりしていた。もちろん甚平を着てね。

 

ここで、知らない人のために『超やせる薬』の内容を簡単に伝えておこう。

 

巷で、超やせる薬を飲んだ人たちが次々と失踪しているらしい。なぜ失踪しているのか? 主人公は手元にあった超やせる薬を飲んで失踪の謎を突き止めようとする。ところが、飲んだ瞬間に身体がどんどん細くなり、糸になってしまうというオチ。

 

「なんか失踪って響きがカッコいい…」と、消えることに憧れていたアイデアから作ったショートショートである。

 

今思うと、プロットもクソもあったもんじゃない。ひどいという以前にひどい。

 

きっと先生はつまらな過ぎるぼくのショートショートの中でも、多分これをお情けでおもしろいと言ってくれたに違いない。どんだけー。

 

ただ、ぼくは当時直木賞の記者会見で着ていく服のことや話す内容をどうしようかで頭がいっぱいだった。「いや~まだこれは何かのドッキリだと思っていますよ〜ははは〜」とか言ってやりたい。無知で幸せである。

 

待ちに待った、『小説現代』発売日。

 

ぼくは汗水垂らしながら必死にチャリをこぎ、本屋に辿り着いて平積みになっていた『小説現代』をぶんどり、ショートショートのコーナーにあたるページをめくった。

 

今日は伝説の日になるぞ。でんせとぅ♪ でんせとぅ♪ でんせ…

 

……

 

……

 

あれ

 

名前が

 

ない

 

バカな

 

ウソだ

 

ぼくは愕然とした。

 

載るものだとばかり思っていた。確実に。なにしろ文学部の教授のお墨付きだったし。

 

なんなら、そのまま直木賞の受賞式に出席出来るようなジャケットを着ていたし、友達にメールで「おれ作家デビューするんだ。まあ今月の小説現代を読めば分かるさ」とか宣言して「読むわ!」とか返事をもらっていたのに。

 

どうしようどうしようどうしようどうし

 

 

いいこと考えちゃった。もういっそのこと、このまま失踪すればいいのだ。

 

ぼくが失踪したら、マスコミが「失踪を取り扱った小説、『超やせる薬』を遺して歩地田川歩地之介氏が本当に失踪!」とか取り上げてくれそうだし。

 

そうなったら有名人になれんじゃね? 執筆依頼とかワンチャンくんじゃね?

 

悪魔がぼくに囁いた。

 

ダ、ダメだぽん! みーんな心配しちゃうぽんよ!? そうなったら違うことで有名になっちゃうぽーん!

 

天使も囁いたけど、黙れぽん。ぼくはやる。

 

早速家に帰ると、机の上にコピーしておいた『超やせる薬』の原稿と「失踪します」と一言書かれた手紙を置いた。準備OK。

 

確か、近くのドブ川に沿って生えている竹林をくり抜いた空き地があったので、あそこを隠れ家としよう。秘密基地感あるけど。

 

ぼくは二重にしたダンボール箱に、筆記用具と原稿用紙と食糧となる買い込んでおいた大量のうまい棒を詰め込んで、空き地へと運んだ。

 

ダンボール箱から中身を取り出し、一つのダンボール箱は机にして、もう一つは座布団代わりにしよう。

 

ただ座ってボーッと流れゆくドブを眺めていてもサマにならないので、ここでも作家生活を送ることに決めたのだ。

 

よし、まずは腹ごしらえ。腹が減っては戦が出来ぬ。薄暗い竹林の中、うまい棒をバリバリ頬張る。

 

止まらなくなって多分20本くらい食べ終わったら、なんか眠くなってきた。

 

ダンボールを枕代わりにしてちょっと寝よう。起きた頃に有名になっていたらいいな。果報は寝て待て。

 

……

 

……

 

気付いたら布団の中だった。目の前に父がいる。

 

「立ち入り禁止の場所へ入っていくおまえを見つけた近所の人から連絡があってな、迎えに行ったんだ」

 

ぼくは虚ろに聞いていた。

 

「揺すっても起きなかったから、近所の人たちと抱きかかえて家に運んだんだぞ。寝言でぼくは失踪してまーす糸でーす就活とかしませーんとか言ってたけど、なんだそれ?」

 

夢が壊れていく。ぼくは観念してあらましを説明した。

 

「へぇ。面白いじゃないか。おまえまるで『ドン・キホーテ』みたいだな」

 

ぼくはその一言で救われたような気がした。

 

Tacomi式世界⑩「マツヤニボール」

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 高校の頃、ハンドボール部に仮入部したことがある。1日だけ。

 

仮入部当日のこと。

 

ハンドボールはな、たくさんマツヤニ必要だから。大丈夫、おれが付いてる」

 

休み時間に、前もってハンドボール部の先輩からそう言われた時、ぼくは激しく勘違いしていた。

 

ハンドボール=頑張る体力が必要=マツヤでごはんを多く食べることが必要=一緒にごはんを食べに付いて来てくれる=おごってくれる

 

その時のぼくは、マツヤニがマツヤにしか聞こえていなかった。

 

この連想ゲームの答えにたどり着いた時、「なんて良い先輩なんだ! 一生付いくッス!」と勝手に弟子入りモードになっていた。

 

ハンドボールの練習が終わったあとに、松屋に連れて行ってくれるんだろうと思っていた。

 

そして放課後。

 

とりあえず初日ということもあり、簡単なボール回しに加わるように言われた。

 

「はい、じゃあやる前にこれつけて」

 

先輩が小さな容器を持ってきた。

 

「なんすかこれ?」

 

「さっき言ったでしょ、マツヤニ。これを手に付けてボール投げんだよ」

 

「マ、マツヤニ? 牛丼の松屋じゃなくて?」

 

「はぁ? 松屋なんて言ってないけど」

 

「えー! おごってくれるんじゃなかったんですか! おれカレーがいいです!」

 

「知るか! 何意味不明なこと言ってんだよ、ほらさっさと付けて」

 

幻 滅

 

とりあえず、なすがままにフタを開ける。

 

くさっ!

 

なにこれ。

 

腐ったはちみつをおじさんのワキに塗りたくって汗とブレンドさせた臭いがする。

 

てか、こんなの手に塗るとか超絶無理やん。

 

もう塗るしかない状況だったため、ぼくは鼻呼吸を封印して塗った。すんげえベタベタする。

 

ボール回しの輪の中へ入った。

 

もう掴みやすいとかそういう次元を超えていた。

 

ネバネバし過ぎて納豆化したボールを掴んで投げっこするとかドМなの?

 

ぼくは途中で仮入部を辞める決心をした。

 

「すいません、ちょっと部室に水筒取ってきます」

 

とウソをついて輪から抜け出し、部室へ向かった。

 

道中、マツヤニだらけの黒くなった手を何度もこねこねこねこすり合わせると、卵くらいの大きさのデスボールが出来上がった。

 

この臭いと恨みのこもったボールを、ウソをついた先輩へぶつけてやろうと思った。

 

身体にぶつけるだけの度胸は持ち合わせていなかったので、大きく振りかぶって先輩のリュックの中へ投げ入れ、そのまま帰った。

 

これぞ一方的思い込み犯罪。

 

15年以上経っているし、時効と言えば時効。

 

リュック、臭くさせて申し訳ない。

 

 

Tacomi式世界⑨「薬草の湯事件」

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小学生の頃は、夏休みとか冬休みがあるたびに、よく家族であちこちの温泉へ旅行していた。

 

ひどかったぼくのアトピーを、少しでも治すためだ。

(これに関連して、「アトピーが酷かったからプチ断食で治してみた」は、こちらから

 

あれは群馬だったか栃木だったか、もうどこかは忘れたが、小学校4年生くらいの頃に「薬草の湯」という温泉に立ち寄ったことがある。

 

いかにもHPがちょっと回復しそうな名前の温泉だ。

 

駐車場には車が多く止まっており、人気らしい。

 

服を脱いで父とともに浴場へ入ってみると、おじさんたちのなまりのある会話と笑い声が反響していた。

 

こ、これが薬草の湯か…。

 

透明…じゃない。黄色だ。お湯が黄色い。お湯に浸かっているおじさんたちの足が見えないくらい黄色い。

 

薬草成分たっぷりってことか。

 

ドラクエの影響をモロに受けていた、単純なぼくの頭の中では、薬草+温泉=HP回復(きっと気持ちいい)という公式が出来上がっていた。

 

そして、特にためらいもなく、いざ入湯。

 

 

 

 

ぎっ…


ぎゃふあああああ!!

 

なんだこれー!! 超絶しみるんですけどー!!

 

「あ〜良い湯だな〜」っていうしみるじゃなくて、悪い意味で!!

 

熱いわけじゃないし、むしろぬるいんだけど身体が燃えそう!! バカじゃないの! 責任者出て来いよハゲが!

 

父の方をチラッと見ると、意外と大丈夫みたいで、タオルを頭に載せて悠々とあごまで浸かっている。他のおじさんたちも。

 

くっ…! なぜだ。おじさんになると全員ドМになるのか。

 

ぼくはアトピーをもっていたので、まず当然患部がしみる。痛ぇ。でも、それどころじゃない。

 

一番しみているのは、ち○ち○だ。叫んでいる。

 

まるで、尿道へ裁縫で使うあの細~い針を連結させて、次々に入れられていくような感覚。

 

「だぁーーー! もう無理だー!」

 

ぼくはたまらず湯を出て、縁に座ってち○ち○にふーふー息を吹きかけて冷まし始めた。父は不思議そうにぼくを見上げる。

 

「どうしたの?」

 

「しみんの! ち○ち○が!」

 

ついつい大声になってしまった。声が反響して、湯に浸かっていたおじさんたちが気づいて豪快に笑い出した。

 

「これが気持ちいいんだべ!」

いや全く

 

「頭っから水ぶっかけたろうかぁ?」

かけんな

 

「ち○ち○にキャップして入ればよかったのになぁ!」

無茶言うな

 

「なんかおめぇサルみてぇだな!」

今それ関係ないけど否定しない

 

「ねーお父さん! そもそも薬草の湯ってめちゃくちゃ気持ちよくなるやつじゃなかったの? 話が違うよ!」

 

「大人は我慢が必要なんだよ」

 

おれ子ども!

 

ぼくはち○ち○をふーふーしても、なかなか痛みが取れなかったので、頭に載せていたタオルで軽くち○ち○を、べしべし叩き出した。

 

良くならない。むしろ痛ぇ。

 

今度はサウナに入った。ち○ち○に痛みより暑さを記憶させようと思った。

 

良くならない。むしろ痛ぇし暑いしアトピー痒い。

 

今度は浴場を出て、首を振っている扇風機に合わせて、ち○ち○を右往左往させてみる。

 

良くならない。むしろおじさんに占領すんなって言われる。

 

いっそのこと、マイち○ち○をハサミでちょん切ってやろうかと思ったぐらいである。だが、ぼくはあきらめなかった。

 

父に車のキー借りると言って、浴場を出て服を着て、急いで車に戻ってかばんの中から冷えピタシートを出した。これぞ、最終手段。

 

そう、ち○ち○に冷えピタシートを包み込むように巻いてみたである。

 

「はぁ~~~♡」

 

これがね、大当たり。超絶気持ちいい。昇天するぅ~。

 

 

 

おっと、うっかりウトウトしたようだ。

 

よし、痛みはもうない。

 

あれ

 

老若男女がこっち見てる。

 

 

暑 く て 車 の ス ラ イ ド ド ア 開 け た ま ま や 

 

要するに、ぼくはドアを開けたままシートにもたれ掛かり、冷えピタで包み込んだち○ち○をさらけ出すような格好でウトウトしていたのである。

 

慌ててズボンを上げた。

 

「セ、セーフでしょ! ほら、包んでますし!」

 

おまえは誰に向かって言ってるんだ。

 

ち○ち○はもう痛くないけど、視線が痛かった。

 

 

Tacomi式世界⑧「へそくり失敗記」

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小学校2年生の冬休み、ぼくはへそくりをしたことがある。

 

確か、『クレヨンしんちゃん』でへそくりについての回があって、子どもだったぼくは「へそくりって何だかおもしろそう…」と影響された。

 

正月。実行の時はやってきた。

 

家に来る親族たちからお年玉袋を回収し終えたぼくは、いつもならそっくりそのまま「はいこれ」と、強制的に母に渡すはめになるのだが、今年はひと味違う。

 

とりあえず、1000円札1枚を抜き取り、ズボンのポケットに忍ばせた状態で「はいこれ」とお年玉授与の式を母に執り行った。

 

母は合計いくらぼくがもらったかなんて知らないから、問題ない。

 

そして。

 

ぼくは家族たちの目を盗んで、忍び足でへそくり場所を探した。

 

自分の机の引き出しの中だと、見つかりはしないだろうけど、なんかへそくり感がない。あのバレそうでバレなさそうなスリル感を味わいたかったのだ。

 

押し入れなら開ける機会が多いからすぐバレるし、ダイニングテーブルの裏に貼ってもどうせ床を掃除する時にテーブルを立て掛けるからバレる。

 

なら、ここだ。

 

普段、人目につかず、掃除の時も特に動かす必要がないところ……そう、ぼくがへそくり場所に選んだのは、床の間に垂れている、たぶん昔の中国の河が描かれた掛け軸の裏側だ。

 

ここなら大丈夫だろう。

 

バカなぼくは、誰も盗まないようにと、強粘着ガムテープを長く伸ばし、1000円札に縦断させて掛け軸の裏側に貼った。この秘密感がたまらない。

 

貼ってから、冬休みが過ぎていった。ぼくは自分の机から床の間をずっと監視していたけど、案の定、誰も床の間の掛け軸なんかいじらない。

 

だんだんつまらなくなってきた。完璧な隠し場所過ぎたのかもしれない。ぼくは隠し場所を変えようと思い立った。

 

ところが、掛け軸の裏側にある1000円札を剥がそうとすると、嫌な予感がした。

 

「あ、これガムテープじゃね?」

 

「じゃね?」じゃねーよ、という感じだが、ぼくはあせった。どうしよう。いや、ゆっくり剥がしていけば、掛け軸も1000円札も破れないはずだ。たぶん。

 

そっと、ちょっとだけ剥がしてみる。しっかり掛け軸の裏紙がくっついてくる。終わった…。

 

1000円札なら、破れてもまた銀行に持っていけば交換してくれる、という話を聞いたことがある。ただ、掛け軸は無理だ。

 

もう、テーブルクロス引きの要領で、ひと思いに剥がすしかないのか。

 

せーのっ

ビリッ

 


冬休みも終わる頃、「お年玉で欲しいものを、トイザらスへ買いに行く」というイベントに恵まれた。これはチャンスだった。

 

「何か欲しいものはある?」と母に聞かれたので、率直に答えた。

 

「ぼく、おニューの掛け軸が欲しい」

 

ぼくは掛け軸がトイザらスに売ってると思ってた。

 

「え? 掛け軸? あるからいいじゃん、破れてるわけじゃないんだし」

 

うん見た目はね。

 

「なんで欲しいの?」

 

「いや、まぁ、ね♡」

 

「ぼくがへそくりに失敗して破りました」とも言えず、掛け軸も買えなかった。20年以上経った今でも、実家にある掛け軸の裏側は1メートルくらい破れたままだ。

 

Tacomi式世界⑦「おじさんからの脱皮」

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「うわっ、ばかうけみてぇじゃん!」

「いや、おれはハッピーターン派だなー」

「ワンピースの黄猿っぽい」
「鉛筆でいいよ鉛筆で」

 

今日から講師としてバイトをする塾で、帰る生徒たちを見送りに出たら、さっきから生徒たちが玄関を出てくれない。

 

物珍しそうに、ぼくの長い顔面を見て、何かに例える合戦をしていた。

 

誰かがまとめて「じゃあ、もうばかうけとかでよくね? 早く帰ろー」

 

と合戦に終止符を打った。

 

ところが、続けざまに「で、おっさん何歳なの?」と聞いてきた。

 

年齢を言ってはダメだった。なので、

 

「て、天才」

 

と言った。

 

「は。つまんな。どう見ても48のおっさんじゃん」

 

ぐっ……!! どう見たら48になるんだよ。

 

「違う違う! ホ、ホントはお茶の子さいさいでしたー!」

 

「だから、つまんな。じゃさようならー」

 

悪夢のような時間だった。人をお菓子や文房具や好きでもないアニメキャラに例えやがって…。しかも48だと…!!

 

この時以来、ぼくはずっと顔面の骨格を整形したいと思っていたし、青のりの部分にあたる青ヒゲも脱毛したかった。

 

でも、そんな莫大な費用、あるわけない。

 

もし、10000歩譲ってそれだけ稼げたとしよう。だが、その頃にはもうこの顔面は、しけっているだろうし、なんなら『梅干しシート』にでもなっている気がする。

 

ということで、ぼくは測定不能の顔面偏差値についてはあきらめた。

 

どうせそもそも老け顔だ。

 

ぼくは開き直って、メルアドを「bakaukezaru」にしたり、Twitterのアカウント名を、「アンハッピーターン@不幸の味は鉛筆の味」にしたりした。

 

もうなんとでも言え。自虐こそ最大の防御だ。

 

それでも、「少しでもカッコよく見せたい…」というのが男の性(さが)だ。

 

そう、顔がダメならファッションで勝負。

 

まぁちょっとずつやっていけばいい。まずは、かばんから変革することにした。

 

ぼくはいつも、MARVELの巨大なロゴがドーンとプリントされたショルダーバッグを愛用していたが、あるファッション系You Tuberの動画を見て危機を感じた。

 

「今どきショルダーバッグはおじさん扱いされるから、やめといたほうがいい。MARVELとか恥ずかしいよ(笑)」という内容だった。

 

身体に電撃が走った。あかんではないか。

 

ただでさえ、ぼくはジャンプしてもしなくても、おなか周りのお肉がぷるんぷるんして、肉体的にもわがままボディのおじさんになってきていた。

 

「エルチキうめぇ。スミノフとの組み合わせ最強だわww」とか、余裕をぶっこいている場合ではなかった。一刻の猶予もない。

 

そのYou Tuberは、『サコッシュ』というバッグが流行っていると熱弁していた。

 

ショルダーバッグのコンパクトバージョンみたいな感じだ。ただし、肩に掛けてバッグを後ろにもってくるんじゃなくて、身体の前にもってくるのが今風らしい。

 

ルミネで早速買ってみた。思ったより小さい。

 

財布と携帯しか持っていなかったので、タグを千切って早速肩に掛けてみる。

 

誰もいないトイレの洗面台の鏡に若返った自分が映っている。ポケットに手を入れたバージョン、腕を組んだバージョン、トイレの入口から遠くから歩いてくるバージョンなど、いろいろ一人パリコレをやってみる。なかなかいい感じ。

 

街を歩いてみる。いつもと風景が違って見える…ような気がしている。

 

ところが。

 

さっきから流行りの掛け方で歩いてるけど、腰が痛くなってきた。

 

身体がだんだん前のめりになってきた。そっちの方が楽だし、まっすぐ立っていられない。重たいものを身体の前にやると、腰をやっちゃうのか…?

 

我慢できずに、途中でコルセットを買って腰に巻いた。

 

いい加減肩も痛かったけど、「前にサコッシュがあるのがカッコいい」という法則に従い、無駄な抵抗をして、今度は首にぶら下げてみた。

 

通りすがりに、ショーウィンドウに自分の姿が映った。

 

コルセット+小さなサコッシュ=いつ行方不明になってもいいように首からGPSをぶら下げているおじいちゃん……にしか見えないではないか。

 

作戦失敗。もうサコッシュなんて使うもんか。

 

つづく

 

 

Tacomi式世界⑥「習いごと放浪記」

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これから話すことは、サクセスストーリーでもなんでもない。挫折して、結局挫折したままの話である。

 

ぼくは小さい頃、強制的に習いごとをさせられていた。母は英才教育をしたかったらしく、ぼくに体操とバイオリンをさせた。いや無理っす。

 

ただでさえ、根性とか忍耐の値が0だったぼくは、「たたかう」なんてコマンドが脳内にあるはずがなく、とことん「にげる」コマンドを連打していた。

 

まず体操は、「いやだぁぁ~!」と泣きわめいて、体育館の中を逃げ回った。日本語がおぼつかない中国人の先生が嫌だったのだ。

 

「オマエ、デンチュー、マタノボルンカ?」(おまえ練習またサボるのか?)

 

とか、

 

「オマエ、キョウモ、モッコリデ、ヤルカ?」(おまえきょうも残りでやるか?)

 

と脅してきたり、

 

「オマエ、キョウモ、チンチンジュウ、オラボインデ、アホデマケ」(おまえきょうも一日中トランポリンで遊んでるだけ)

 

と、怒ったりしていた。

 

結局、「オマエ、タマタマ! オナラノ、デンチューノ、タマ!」(おまえ邪魔邪魔! おれらの練習の邪魔!)と放置された。

 

ぼくは、よくすみっこの方でひたすら鼻をほじりながら、ひとりトランポリンを跳んでいた。たまに、マットででんぐり返しがてら、収穫した鼻くそをマットに付けてマーキングしていた。

 

「キチャマ、マンゴヲ、タベンナヨ!」(貴様マットをなめるなよ!)

 

と見つかって、叱られた時もあった。

 

今は訳せる。でも、当時はとにかく多分怒っているんだろうけど、何をしゃべっているのかはよく分からなかった記憶がある。

 

いつも帰りに、迎えに来た母からご褒美として買ってもらえる『ミロ』(今でもあるのかな?)という、全人類のほっぺを落とさせる自信があるくらいうまい飲み物を買ってもらえることが、ここでの唯一の楽しみだった。

 

たいして動いてないのに、「あー、運動した後はおいしいねぇ…」とか、ジム帰りのおばちゃんみたいなコメントをしていたらしい。ウソつけい。

 

結局、すぐやめた。

 

ここで運動しなかったおかげもあってか、今では背のびして棚にある物を取ろうとしただけで、上腕二頭筋が毎回つる。

 

さて、バイオリンの方は、ぼくがちょっと弾くたけで「黒板を爪でひっかくような音……の方がマシなんですけどー!」と他の子どもから指摘され、教室内では笑い者になった。

 

別の部屋で一人練習を余儀なくされたけど、そもそも自分でバイオリンをやりたいなんて言った覚えはサラサラなかったので、超絶苦痛だった。

 

なので、やっぱりここでも鼻をほじるしかなかった。ぼくはあぐらをかき、バイオリンを裏面にして床に置き、もぎたての鼻くそを1個2個と付けていき、7個のドラゴンボールがそろったら「いでよシェンロン! そして願いを叶えたまえ!」と唱えてシェンロンを召喚するまねをしていた。当然現れない。

 

文化会館で発表会をした時なんか、もう散々だった。

 

ぼくの番になって、ステージに出てお辞儀をしたのはいいけど、そもそもバイオリンの持ち方も覚えていないので、不安になって泣き出してしまった。

 

観客席からは、失笑が起きていた。公開処刑だ。袖にいた先生が大慌てで駆けつけ、二人羽織のように、後ろから手を取ってもらって一緒に全部弾いた。

 

習っていたおかげで、今では小さい頃のことを聞かれると「昔バイオリンやってたんですよ」とプチ自慢して「おお!」とか言われることで、承認欲求を満たしている。ウソではないけど、しょうもない。

 

結局、すぐやめた。

 

何をしても続かないぼくが、唯一自分から「習いたい!」と胸熱になったのが、絵画教室である。

 

なぜか。

 

確か、ピカソだったと思うが、彼の絵をテレビ番組で見た時に、「こいつヘタクソじゃん。おれもっとうまく描ける」と、ありえないくらいの勘違いをし、見下したからである。

 

小学2年生の頃、ぼくは昼休みに好きだった「ロックマンのステージ」を題材にして、スケッチブック6ページ分くらいの超大作の絵をよく描いていた。

 

試しに先生に見せに行ったら、「うまい!」とか「すげえ!」とか、たぶん褒められて気をよくした。

 

「おれはうまい」と更に勘違いをし、よせばいいのに、近くの絵画教室に通い始めてしまった。

 

その絵画教室は、魔女みたいな顔面の年配のおばさんが先生をしており、基本的には男子でも女子でも、生徒の下の名前+「ちゃ~ん」付けで呼ぶという、男子にとっては恥ずかしい文化があった。

 

仮に、ぼくの名前を「タコ」とするなら、「タコちゃ~ん」と呼ばれていた。

 

毎回、先生からのお題に沿って絵を描いていくのだが、いい感じに描けると、なんと「ちゃ~ん」から「様〜!」へ昇進できるシステムに気付いた。

 

いい絵は絵画教室のチラシに載せるみたいなので、先生も集客のために欲しがっていた。

 

だから、ぼくが気合いを入れていい感じに描けたら、先生は合掌して手のひらをスリスリしながら「タコ様〜!」と、崇拝してきた。

 

特に、3時のおやつは最高だった。いい感じに絵を描けた人はおやつがプラスされるし、「タコ様、おやつよ~」と貴族のように扱われたからだ。

 

この絵画教室も、絵を描くぶんには良かった。

 

だけど、ぼくがずーっと黙々とやって毎回いい感じの絵を描くから、「あいつむかつく」と、年上の子たちに目をつけられた。

 

そのうち、先生の見ていない所で、絵の具がついた筆でぼくの腕に○とか✕とか描いて、いじめてくるようになった。

 

ぼくも、黙っちゃいない。いじめっ子に立ち向かった。

 

例えば、カッターでクレヨンを刻んでリュックに入れたし、パレットに放置して固まった絵の具をリュックに入れたし、鼻くそを掌に載せてデコピンの要領で飛ばしてリュックに入れたりした。倍返しだ。

 

でも、ぼくは「最近ピアノを習い始めて、今日はレッスンがあるから」と、ウソをついて早く帰るようになった。ピアノなんて猫ふんじゃったも弾けない。

 

そのまま家に帰っては、サボったことがバレてしまう。

 

なので、古本屋で『幽遊白書』を読んでいるフリをして、開いた間にエロマンガの『東京大学物語』を挟んで立ち読みし、時間調整をしてから帰っていた。

 

結局、2年くらいでやめた。

 

習いごとは、どれもこれも続かなかったのだった。

 

でも、ぼくは人生から逃げる気はない。だって、どの経験もそうだけど、当時は嫌だったことが、今笑いごとにできてブログのネタになっているから。

 

Tacomi式世界⑤「ぶび」

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ぼくは一時期、知的障害者の通所施設で働いていた。

 

障害をお持ちの方と心の距離が近くなるキッカケというのは、いっぱいあった。


例えば、散歩を通じてとか、音楽プログラムを通じてとか、軽作業を通じてとか、いろいろ。


その中でも、散歩は嫌いだし、音楽は聴くと泣き叫ぶし、軽作業で使うアルミは口の中に入れて味わっている中年男性の方がいた。


「もうどうしようもなくね?」と他の職員はお手上げだったけど、ぼくは手を挙げて提案した。

 

「じゃあ、話してみませんか?」と。


ろくにその方と職員が話している場面を見たことがなかったので、ぼくは話すという選択をした。単純にあれしてこれしてと指示るのではない。

 

その方の話す言葉を一緒になって話せば、話は分かるだろうと思った。いわゆる、オウム返しというやつである。


ただし、その方は一語しか話せない。

 

「ぶび」

 

である。

 

「ぶびじゃねぇよ」という、厳しいご意見もあるだろう。

 

そんなぼくは、その当時どう思ったかと言うと、

 

「ぶびじゃねぇよ」と思った。

 

「ドラえもぉ~ん! ホンヤクコンニャク出して~!」とも思った。


ただ、その方は、「ぶび」で意思疎通を図ろうとしていたのである。いやまじめに。


その方が、こちらの提示するプログラムが嫌だと分かった時、ぼくはとりあえず会話をした。

 

「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」
「ぶび」

以下略

 

こうして会話のキャッチボールを文字に起こすと、いい大人たちが何してんねんという感じになるが、ぼくからすれば、いい大人たちが話してみようとも思わないで何してんねんという感じだった。

 

おっと、スクロールして運良くこの会話文から読んだ方へ断っておくが、我々は豚ではない。大好きなママのおっぱいを鼻息荒くしてブヒブヒしゃぶりついて育った哺乳類だ。


それはさておき、話してみると、その方はうれしかったらしく、「ぶびぃ!」と笑顔になって飛び跳ねてくれた。


今まで「あの人は話せない人」と決めつけていた職員たちは驚いてくれた。

 

「控え目に言って神だ」と称えられたが、

 

「控え目に言って民だ」と言っておいた。


ただ単に、散歩だの音楽だのを一緒にやっていればいいってもんじゃない。こういう会話の中での発見も大事だ。


そうそう、「ぶび」の種類もいろいろある。いやまじめに。


頷きとともにする、肯定形の「ぶび」

眉毛をハの字にする、否定形の「ぶびぃー!」

語尾が上がる疑問形の「ぶびっ?」

うれしいときの笑顔形の「ぶびぃ!」

文字だけでは到底伝わらないと思うが、だいたいこの4パターンである。


それぞれを分析的かつ具体的に書くと、卒論が一本出来上がりそうなので割愛する。4単位くらいは欲しい。


とにかく、この方が通所施設の中で一番お好きなことは、会話だったのだ。普段お母様はお忙しいらしく、なかなかご自宅では話せていないらしい。だからか。

 

ぼくはお母様に「ぶび」の成り立ちを聞いてみた。

 

「ああ、あれはね、本当はバイバイって言ってるのよ。ちっちゃい頃、よく言う機会があったから、染みついちゃったのよ、きっと。でもあれで使い分けてるからね」

 

と言われた。

 

そうか。

 

バイバイ⇒バービー⇒バビィ⇒ぶび

 

という、要はバイバイの発音がネイティブになった感じか。かっこいいではないか。

 

そういう背景を把握しているか、していないかでは、支援の組み立て方も変わってくる。

 

例えば、職員がどこかへ行く時とか、他の利用者さんが先に帰る時とか、「ぶび」の一言があるだけで救われる人だって……いると信じたいので、せーので「ぶび」と言ってもらい、手を横に振ってもらっている。


いろいろな職員とご本人が話すことでブビュニケーション能力が向上する……かどうかはまだ分からないが、本人のニーズはある。


決してバカになどしていない。最近は、ご本人が何のプログラムをやるにしても、職員とぶびぶび言い合っていると乗り気になっている。これは立派な支援だ。いやまじめに。


ぼくは、あまりにもぶびぶび言い過ぎているせいか、こないだ入ったカフェで「ミルクは要りますか?」と聞かれて、つい肯定形の「ぶび」を使ってしまった。